靖國神社の起源

靖國史観より
靖國神社の起源となったのは、幕末の動乱の中で、勤皇の志士たちが行った同志追悼の招魂祭であった。

招魂祭とは、1862年文久2年)福羽美静(ふくばみしず)らが、京都霊山にて私祭を行い、安政の大獄以来の弾圧に斃れた志士たちの霊を祀ったことに遡ると言う。幕府権力への抵抗のシンボルとなっていた神道の様式で追悼の儀式を行い、倒幕への誓いを新たにしたのであろう。

が、薩長の「官軍」が江戸を制圧した直後の1868年(慶応4年)6月に江戸城内大広間にて行われた招魂祭となると、意味の転換が起きてくる。新政府の樹立に向けて斃れたものは天皇の忠臣として祀り、敗死した「賊軍」の兵はたとえそれが怨霊になろうとも省みないという態度を打ち出したからであった。

怨霊信仰とは異なる新たな伝統の形成となる。

そして新たな伝統の下で、1869年(明治2年)6月九段の地を選んで、招魂場が創建され、味方の戦死者を死後間もなく、神として祀り、以後続いている。

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日本には、そもそも「怨親平等」(おんしんびょうどう)という仏教から来た思想がある。
靖國思想より、ずっと以前からある思想である。
合戦において、自軍も敵軍も死んだものを、平等に祀るという思想である。
実際各地に、供養塔が立っている。